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古代山城:屋根の城 [城]

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屋島の城(城門跡) バーズアイ香川

7世紀、唐と新羅に滅ぼされた百済と同盟国にあった日本は、百済再興のために大軍を送ったが、白村江の戦いで大敗しました。唐・新羅軍の報復を恐れた天智天皇は、九州や瀬戸内海沿いに古代山城などの防衛用の砦を築き、北九州沿岸には防人を配備しました。それでは、なぜ天智天皇は瀬戸内海沿岸に多数の城を築いたのでしょうか。

Q。古代山城が、瀬戸内海沿岸に築かれたのは・・・。

A.瀬戸内海の山は低かったから
B.瀬戸内海の塩が大切だったから
C.瀬戸内海の魚を獲られると困るから
D.瀬戸内海が交通の要衝だったから

答えはこちら(クリック)


屋島の城は日本書紀にも記載された古代山城で、近年郷土歴史家の手によって再発見されました。山頂近くの溶岩の崖を城壁にした自然の要害といわれます。溶岩の崖が途切れた所に、石塁や土塁を置いて城壁を完成させたようです。従って、典型的なメサ台地といわれる屋島の平坦な部分が城内となり、香川の戦国山城と比べると巨大であることが分かります。築城の目的が違うため当然ですが、その後戦国時代に山城として使われることがなかったのは、籠城するには城内が巨大すぎるためかと想像されます。

日本書紀などに記述がないものの、同様の古代山城の遺構としては、岡山の鬼の城や香川の城山の城などがあります。


屋島の城パンフレット





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