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城の威厳、高松城と丸亀城 [城]

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海から見た高松城 (天守ではない)  バーズアイ、香川(高松城)

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海から見た丸亀城 (石垣の上に天守)  バーズアイ、香川(丸亀城)

近世、戦国時代が終焉を迎えて大きな戦がなくなると、武士の城は戦いの城から統治の城へと、その役割を変えていきました。そのため、城は領民を威圧するための威厳をもつようになりました。

高松城は、豊臣秀吉の四国平定後に入部した生駒氏によって威厳をもって築かれました。藤堂孝高氏の設計といわれ、海と海水を巧みに利用して防備を固めた本格的な海城でした。生駒氏の改易後、水戸の徳川光圀の兄、松平頼重氏の居城になりました。それでは、高松城にみる城の威厳とは、何だったのでしょうか?


Q:高松城の威厳とは・・?

A1.船着き可能な門
A2.3重の堀
A3.海水の堀
A4.24m高の天守

こたえはこちら(クリック)

一方、丸亀城は西讃統治のための生駒氏の支城でした。生駒騒動後、山崎氏が入城し、石垣などの大改修を行いました。現在の丸亀城は山崎氏改修後の様相を残していると言われます。その後、山崎氏は改易され、京極氏の居城になりました。それでは、丸亀城にみる城の威厳とは、何だったのでしょうか?

Q:丸亀城の威厳とは・・?

A1.小ぶりの天守
A2.総稿60mの扇の勾配をもつ石垣
A3.2重の水堀
A4.大手門の枡形

こたえはこちら(クリック)

近世海城として名を馳せた高松城は、攻城戦の防備もさることながら、航行する船から”城が見える波の上”と言わしめたほど豪華なものでした。他に、巨石を用いた枡形や巨大な敷地は城の威厳を表すものでした。

丸亀城は亀山という小丘に築城された近世平山城です。攻城戦の防備もさることながら、上部になるほど垂直になる扇の勾配と呼ばれる美しい石垣は海からも見えます。他に、城を雛壇風に見せる一二三段で築かれた石垣や巨石を用いた枡形は城の威厳を表すものでした。

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